奥州仙台_七福神めぐり①
今まで神社ばかりを書いてきましたが、お寺にもお参りし御朱印を頂いて来てます。
で、なぜ神社ばかりだったかというと、単に行きづらかった(スタートが遅れた)だけです。そうこうしてるうちに神社の御朱印がふえてなかなかお寺の方に移れなかったわけです。
なぜ行きづらかったかは次回にします。大した理由ではないのですが・・・
では本題の七福神巡りに移ります。
仙台七福神は神社が一社、お寺が六寺で構成されています。(数え方は良かった?)
神社については以前紹介した藤崎えびす神社になります。
記載済みですのでここは写真をさらっと載せときます。
藤崎えびす神社-仙台市青葉区一番町3-2-17 藤崎百貨店屋上
で、今回は残りの六寺を回りました。
七福神の巡り順がはっきりわかりませんので適当に決めスタート。
まずは山門と扁額
山門の金剛力士像
『金剛杵(しょ)を持って仏法を守護する神。大力をもって悪魔を降伏(ごうぶく)する。寺門の左右に置かれる。門の向かって右を密迹(みっしゃく)金剛、左を那羅延(ならえん)金剛という。』*デジタル大辞泉より
其々の呼び方は今回検索して初めて知りました。阿像、吽像かと思っていました。
神仏習合の名残なので狛犬は神社でも寺院でもいますが、金剛力士はさすがに神社では見かけませんね。(でもいる所もあるのかな。)
こちらが本堂です。
二階が本堂のようですが参拝者の入り口は下の右側入口からになっています。
こちらより入り参拝挨拶と御朱印を住職さんにお願いして二階の御本尊様と福禄寿様をお参りさせてもらいました。
こちらが福禄寿様です。
*奥州仙台七福神巡りHPより。
この流れで書くのは変かなと思いますが、七福神は宝船に乗ってる神様の認識です。
名前は何となく知っていましたが、細かいところは良くわかっていません。世間一般のイメージ程度といったところです。
『福禄寿は、福運、俸禄、長寿の三徳をもたらす神として名高く、商売繁盛、延寿健康、除災を祈願する人が多い。ちなみにそのお姿は、短身長頭でひげが長く、右手には法杖を、左手には経巻を持っておられます。』*奥州仙台七福神巡りHPより。
商売繁盛は別として延寿健康は切な願いですね。長寿でも寝たきりで子供に迷惑はかけたくありません。健康に長生きし、最後はころりと行きたいです。(会津ころり三観音はお参り済み、めんどくさがる嫁も強制的に)
ちょっと話が逸れ気味になりました。
で、頂いた御朱印です。
福禄寿様が押されています。
最初はタイトルを「巡り」で止めていましたが、いやあ残り五寺を書ききるにはだいぶかかってしまいそうです。で最後に①と付けてしまいます。根性無しです。
残りは次回で。
よろしくお願いします。
黒沼神社【福島県福島市】
*何回も書いてくどいかもしれませんが文章力のない私には更新が厳しいですね。
約1っか月ぶりです。
*いつも大変面白く読ませていただいていますが、【ご朱印迷宮】のZOON-ZOONサンは尊敬してしまいます。
福島市を今回回りましたが、何気に黒沼神社が多いと思ってしまいました。
由緒を確認すると納得はしますが。
御祭神は石姫命(イシヒメノミコト)、淳仲倉太珠敷命(ヌカクラフトタマシキノミコト)。
狛い・・・!?、狛熊!
由来書【パンフレット】にイラストを使った物があり、福島には大きな湖があり、身の丈二尺ほどの大蟹が暴れていた。そこで皇子「淳仲倉太珠敷皇子」は大蟹を無事退治。
そのほかに水熊が棲んでおり、人々を苦しめていて皇子は住民を救うため、湖を干拓し、干潟になったところに水熊を追い詰め、無事討ち果たす。
と書いてあり、そのため熊なのかと納得してしまった。
由緒には続きがあり奥様(石姫さま)の事も書いてありますがなんか切なくなるのでやめときます。
パンフレットのイラストも良かったので載せたかったのですが・・・・・持ってきたはずが、無くなってしまい載せる事が出来ませんでした。
拝殿と変額です。
拝殿脇にお馬さんが
こちらは何でいるのかよく理解しませんでしたが、何印象に残っています。
なんか、マキバオーのカスケードの目付きにちょっと似てるかな?
あ、あくまで自分の感想ですからね。
こちらもいまは不明です。
扁額もありそうなので・・お参りの時は判っていたかもしれませんが、パンフレットを持って帰ってると油断したのか、単なるボケてきているのか・・・。
こちらがいただいた御朱印です。
左側のご自宅の方でいただきました。
少しお話をさせて頂きましたが、その中でネットの話も出ました。
なんか色々とかかれたりして、良い事も悪い事も。宮司さんはだからネットは悪いと言ってるわけでは無いですが色々大変です。と言っていました。
確かに私もゾンザイな対応を受けた時は、わかっていても悪く思ってしまいます。
ご厚意でと思っているので、そんな時でもいろいろあるサーと自分で納得するようにしていますが、宮司さん側も思う所は一緒なのでしょうね。
初穂料はお気持ちでとの事で、お賽銭として納めさせていただきました。
乃木神社【栃木県那須塩原市】
こちらは栃木県に旅行した時に泊まったホテル近くにあった神社です。
チェックアウトして車を残したまま歩きで来ました。
駐車場は大概あるとは思うのですが、もしなかったらめんどくさいなと。ただ、思った以上に遠かったです。
御祭神は乃木大将夫婦(由緒書きには将軍て書いてありますが)とのこと。
人が「 神 」となっている神社は結構ありますが、比較的に現在に近く、また夫婦でのとはあまりないのでないでしょうか。
由緒書きです。
乃木大将と言えば戦神として有名ですが、明治天皇に殉死されたことはここで知りました。昔の時代ですから「 有り 」なんでしょうが・・・
手水舎です。
えいと、多分愛馬だと思います。
狛犬です。
え~と、何か小さいやつも一緒に居るような?
拝殿です。
きれいで新しい感じです。(実際神社の歴史としても新しいのでしょうね)
こちらが別邸への入り口です。
ちょっと歩いたところに昔の建屋とため池がありました。
別邸ですから、時期時期でこちらで生活をされていたんでしょうね。
御朱印です。
拝殿横の社務所でいただきました。
単純ですが、なかなかきれいな字です。
荒雄神社【宮城県大崎市】
古川駅を経由する東北新幹線高架と平行に走る側道側にあります。
特に意識せず通過してこんな所に神社(比較的大きな)があると何回か思っていたところです。
今回の大崎方面での神社巡りでやっとお参りする事が出来ました。
入口の沿革(由緒では?)によると御祭神は「菅原道真公、楠木正成公、和気清麿公」との事。菅原道真公であれば○○天満宮や○○社といった感じではありますがこちらは全く違っていますね。
沿革最後の方に、神社創建の記録があり
「昭和天皇御即位記念事業奉祝の微裏を表せんが為荒雄村の素封家青沼彦治翁は嫡男吉治氏の名を以って荒雄村に献金出願、村議会決議を以って荒雄神社御造営は成されたと村誌にあるが事実は十萬金を以って彦治翁自ら指揮監督に当たり県下稀にみる大神社をここに建設されたものである。尚祭神分祀は彦治翁嫡男吉治夫妻を伴い自ら京都神戸に赴き各神社宮司に懇請宮司方はその赤誠に感じ御分霊に応じられたとある。」
なんかわかりずらい表現で理解するのが難しかったけど、超訳すと村の公式記録としては献金で村にて創建したとなっているけど、実際は青沼彦治翁が大金を投じ自ら創建したと書いてるんだと思います。わざわざ書くってことは村議会と仲違いしたってことでしょうかね?
経緯はともかくお参りをと。
駐車場わきの鳥居です。こちらの方から入りました。
手水舎です。
ちょっと変わった入口です。両脇柱、しめ縄が飾られています。
狛犬は結構歴史ありそうですが昭和空ですよね。
拝殿になります。
境内社の見渡神社です。この神社名はここで初めて知りました。
そしてこれが頂いた御朱印です。
なんかシンプルなんですが、何となく味わいがあるような御朱印です。
志波姫神社【宮城県大崎市】
御祭神は天鈿女命(アメノウヅメノミコト)です。
こちらに伺った時はだいぶ時間が過ぎており5時近かったと思います。
お参りに行くときは出来れば4時までに行けるを基本にしています。
特に明るかったりちょっとで着ける等の時は行ってしまう時はあります。
この時はその前の【小松神社】(*まだ書いていません、後先になってしまいますが後日に書き上げます。)さんの宮司さんとお話しした時、古川の方は御朱印がもらえる所が限られているからといった話をしていて、志波姫神社さんには行きました?と言った話になり、時間押していましたが思わず走ってしまいました。
鳥居をくぐっていつもの狛犬撮影です。
手水舎です。
こちらが拝殿になります。
先の写真もそうでしたが心に余裕がなかったためか写真がぶれている感じです。
そして向かって左側に境内社がありました。
御祭神はよくわかりませんでした。*これじゃだめだよね。
こちらが頂いた御朱印です。
だいぶ遅い時間なので恐る恐る社務所に伺いました。宮司さんがおられ快く御朱印対応していただきました。そして、由来についても話を聞かせて頂きました。
こちらは塩釜にある志波彦神社の御祭神と夫婦との事。そのように由緒正しい神社だけど資料が(文献?)が無く知名は少ないなど色々教えて頂きました。
結構話が弾みましたが、時間も時間なので初穂料を収めて(その時お守りを頂きました)帰路に突きました。
ちなみに写真は撮っていませんでしたが境内に土俵がありました。わかり辛い所ですが機会があればお参りしてみてはどうでしょうか。
藤崎えびす神社【宮城県仙台市青葉区】
久しぶりに記事更新します。
宮城県仙台市青葉区、藤崎の屋上に鎮座する「藤崎えびす神社」です。
「藤崎えびす神社」は昭和7年に西宮神社より恵比寿様を勧請し、昭和38年に現在の屋上に祭られ、奥州仙臺七福神の一つになっているようです。
うわさに聞いていましたが、御朱印巡りを始めなかったら、絶対行ってないばしょなのだろうと思います。
実際デパートの屋上に行くとしたら、遊具があった昭和の時代だろうと思います。
最近は地下食品売り場化、本屋が入っていれば本屋に程度しか行きません。あ、100均あったから行ったか!
そんなもんです。ほんとにそんなもんです。しかるにお参りに行くことになろうとは人生何があるかはわかりませんね。いや、実際はそんな対した事では無いんですが・・・
はい、こちらが拝殿になります。
下が由緒書きです。先にも書きましたが奥州仙臺七福神になっています。
頂いた御朱印です。
こちらはインターホンで要件を伝え来てもらう形になっています。
巫女さんとは言わないですが、女性が・・と思ったのですが、男性でした。
それも、多分若い方に入るのではと思ってします男性社員(だよね?)が書いてくれました。多分書道が得意な社員の方が交代でやっているんだろうなと勝手に思っています。
奥州仙臺七福神は、冬に入る前に回ってみようかと思っています。