滝沢観音_会津三十三観音_第十八番 福島県会津若松市
はっきり言って昔の話ばかりです。コロナ過が落ち着いていけるようになるかと思えば、また感染者増で各自治体ごとで移動自粛をお願いが出たり、お盆休みで少しは動けるのかと思っていますが、どうなんでしょうね。
そんなんで昔にお参りした所、こちらも会津三十三観音の一つです。
会津は仏都と言われるほど仏教文化が花開いたところで、法相宗の僧、徳一が多くの寺を開いたようです。こちらの観音堂は行基の開基の様ですから徳一の時代よりまだ早いようです。行基って奈良の大仏を作った人だと思いますが、知識がまだらなのでご勘弁ください。
車ではどこまで入れるのかわかりづらいので注意ください。
こちらも2017年の物になります。
ここには札所の観世音菩薩、不動尊、白糸神社、北向稲荷神社がまつられているようです。
が、最初に在ったのは疣神様でした。由来、縁記についての説明は見当たらなかったのでよくわかりませんが、イボを無くしたりの神様かと思います。
参道が続きます。
お、滝が見えてきました。
白糸の滝、天気も良かったせいもあるのですが、とても清々しい気持ちになりました。
白糸神社です。
他の人のブログでわかったのですが白糸神社の右わきにちょっと写っている祠が北向稲荷神社とのこと。多分当時は気付いていませんでした。
お不動様です。
無住のためすべてお堂前でのお参りでした。先述べたように独特な雰囲気を持った場所で、気持ちよくなれた場所でした。
御朱印は下に降りたところの檀家さん家だったと思いますが不在でいただくことが出来ませんでした。その時はまた次回にでもと簡単に考えていましたが2020年現在でもかなっていません。ま、諦めずになんかの機会で。
場所について Googlemapより
そんなに市内から離れているわけではないですが最初に書いたようにだいぶ山です。
お気をつけください。
清々しさを強くだしていますが、負の面で虫が多いので子供は途中びびっていたことを付け加えます。ただ私からすれば山の中なので当たり前程度です。
唐松観音_最上三十三観音第五番 山形県山形市
ローカルシリーズとして今回は最上三十三観音の第五番唐松観音を紹介します。
こちらも懸造りのお堂です。
由来 : 馬見ケ崎川の上流に住む藤原藤太(炭焼藤太とも称)に、京都一条殿の豊丸姫という美女が清水観音のお告げによってはるばる訪れ、奥州宝沢の里に辿りつき藤太の妻となった。その豊丸姫の念持仏の弘法大師作一寸八分金無垢の聖観音像を、藤太が永久元年(1113)唐松山の霊窟に祀って、その前に堂宇を建て拝殿とし、衆人と共に崇敬していた。これが唐松の始まりであると伝えられている。
馬見ヶ崎川のそばにあります。
唐松音頭というもがあるようです、私は聞いたことはありませんが。
こういったお堂の有り有りですが、高い所に立っています。
山寺とか言ったレベルでは無いですが、上り坂をゆっくり上ってい行きます。
途中もお地蔵様、観音様?がおられます。拝みながら、解説有れば解説を読みながら行くのも楽しみの一つですね。
もうすぐです。
下から見上げた写真です。
なんかこういう小僧さんよく見かけますね。
いっぱいの鐘、木魚です。信者の方が奉納しているのでしょうね。
高校の時、遠足でなく課外授業だと思いますが一度ここまで来たことがあります。まあその頃は全く興味が無かったので高いところに建っているな位にしか思ってなかったですね。
下の写真は堂内から右側を見ているところですが、山形市内側となります。
また平場の所は駐車場となっております。また中央の所にあるちょっと丸くなっているのは芋煮会用の大鍋だったと思いますが、どうだったかな?
こちらは笹谷インターよりの風景です。
こちらはちょっと離れた檀家さんでいただきました。
御詠歌の頁です。
芋煮会のシーズンまでにコロナ過が収まっていればですが、まず無理でしょうね。
左下観音_会津三十三観音第二十一番 福島県
全国各地に三十三観音霊場があり、有名な西国、坂東、秩父などいろんなガイドブックが出ています。
私が住んでいる宮城県でも奥州三十三観音、出身の山形では最上・庄内・置賜三十三観音(合わせて百観音)とあります。また東北全部にまたがる不動明王霊場あり、各県毎にもありそれを調べるだけでも楽しくなってきます。
今回は福島県の会津地方にある三十三観音霊場の一つを紹介します。
由来の一つに、保科正之公が会津藩主として入封した寛永20年(1643年)以降に成立したとの言い伝えがあるそうです。
今回は二十一番左下り観音を紹介します。こちらは2017年にお参りした時の物です。
駐車場からそれなりに歩きやっと見えてきました。ここに至る前にも、お堂や石碑がありました。じっくりと見ながら慌てず登ってくるのが一番いいかと思います。
下にたっている看板に若櫻についての説明看板がありました。こればその下に貼り付けた写真の若櫻観世音菩薩像の説明担っています。
予科練とか戦争に関することが絡むといろいろ言う人がいますが、単純に、普通に、感じるだけでいいと思うのですが・・・。
左下り観音堂、懸造りのお堂です。
懸造りとして投入堂が有名ですが、なぜわざわざこのような造りをと思ってしまします。好きですけどね。
お堂の中の写真もあったと思うのですがうまく探せず、見つかったら更新します、
下の写真は裏側にあったような気がします。記憶違いであればすいません。
左下り観音堂の本尊は聖観音ですが、本尊のほかに石像の無頸(くびなし)観音が安置されています。秘仏とされているようです。写真は御前立の仏像かと思います。
いただいた御朱印がこちらです。
檀家さんよりいただきました。案内はあったような気がしますが二三軒にお聴きして回ったような来ます。ご高齢の夫婦が対応していただき旦那さんが書いてくれたと思います。持ち回りなどありますから変わられているかもしれませんね。
3年前に回り始めていますがまだ結願しておりません。
少しずつでも進めば・・・
菅谷不動尊_宮城県宮城郡利府町
世の中だいぶ変わってしまいました。
私もそれなりに年齢が高くもあり、体力無しでかかったらやばい状態ですが、会社は普通に勤務させられて(一応なんか通達みたいなが出ると併せてやっているようですが・・・実質は現場任せ)普通に動いています。関係上他県からの移動者との接触は多いのですがどうなんでしょう。生活はそんなところで大きく貧窮になったりしていませんが、今後政府予算が縮小方向に行けば・・・・・考えたくありませんが、子供をせめて高校卒業、よく言えば大学卒業まで務めたいのですが・・・
そんなこんなも考えさせられる情況に変化していますね。
本日も仕事、明日も明後日も仕事でしょう。
(俺は体力持たないってずっと言っているのに!!!)
てか4連休なんて7月の出勤表をみて最近知ったばかりですがね。
とりあえずなんとか書き上げようと思い空いた時間でコツコツと。
今回の記事は書き始めが3年ぐらい前だったと思います。では、
あんまり近いと行くのに躊躇してしまう場合があります。
今回紹介する菅谷不動尊もそんな感じでした。
日本三菅谷霊場?検索では新潟の菅谷不動尊は出てくるけど・・・
とにかく存在は気にしていました。
ちなみに宮城県利府町では新しいイオン(元からイオンあり)が出来てきており、今冬オープンの予定です、利府町もコロナと合わせどのように変わっていくんでしょうね。
こちらが表参道になります。
今回の写真は時期がバラバラの物を使用していますが、奥の院の写真は今年初めのも荷です。
そのときは子供の高校受験があり、合格祈願のためのお参りでした。
そのおかげもあるのか、なんとか3月の試験では合格することが出来ました。
ただ試験後は皆さんの周知の通り休校、いつ始まるんやねんの情況でした。
解除後、今ではだいぶ普通の高校生活になってきているようです。
本殿前に弁財天があります。他の方のブログでは布袋様などもおられる(た?)ようですが私は、探すことが出来ませんでした。
こちらは新しく建て替えられており、きれいになっています。
こちらの不動様は眼病に効くようです。
中は暗くお姿を見ることは出来ませんでした。
奥には道安寺横穴古墳群(七世紀頃のもの)があります。道安寺裏山に百基以上有ると推定されているようですがすべてが確認されている訳ではないようです。
今回は子供の件もあり奥の院まで行って見ることにしました。
なにやら黄色い看板が
熊注意!!!
確かにね~、実際利府町は目撃情報がありますからね。気をつけましょう。
むちゃくちゃに段数があるわけではないですが先を見ると結構来ます。
横穴古墳群が見えてきました。
こちらが奥の院と思われます。
奥の方は暗く本尊様?御神体?はわかりませんでしたがお参りを行い下におりました。
奥殿の裏側に滝堂が有り、そこにお不動様が祭られていて、滝堂の清水で目を冷やすと御利益があるとされているようです。下のお不動様と混同していましたね。今回は全く失念していました。いま自分も飛蚊症になっており次回お参りしたいと思います。
こちらが別当寺の道安寺
今回御朱印をお願いしなかったので、前にいただいた御朱印を掲載します。
住職さん不在でなかなかもらえなず、たぶん三回目位のお参りでいただいたと記憶しています。
変な世の中ではありますが、少しずつまたアップできれば・・・・・少しは変わっていきますかね。
令和2年徳島県での初詣
なんか長い時間がたってしまってました。
同じ徳島の初詣は2年、直近でも1年半と経ってしまっている。なんでかなぁ〜。
嫁の親父さんのすぐ近くの神社にお参りに行きました。
場所は義兄にあるよと教えてもらいました。
学問の神様・合格祈願
逆光で見づらいのもありますが読みきれませんでした。
氏子さんが焚き火の番をしてお参りに来た人と話していました。ただ氏子の人もお参りの人も年齢が高いなあと感じました。まあ有名な神社には行くんだろうけど氏神さんにもお参りして欲しいと思ってしまいます。
そんな感じで御朱印は頂いていません。
子供と二人でのお参りでしたが、もうすぐ受験、たまたま天神社でラッキー!引いたおみくじも大吉!多くは望んでいません。なんとか希望の学校にと願うばかりです。
皇紀2600年、天皇制については様々な意見があると思います。が2600年がホントかどうかは別にしてこれだけ続いた王室(ツッコミは無しで)はほぼ無しだと思います。良い悪いは別で凄いことだと私は思います。
主祭神が菅原道真公で無いのはこれで知りましたが、全文読み切れてません。
少年の森と同じエリアでキャンプとかイベントが出来そうな感じでした。
いろんな事を一つ一つづつ解決して行かなきゃならないけど、進める分をまた進めて行ければなと思います。
とりあえずここから再スタート。
六椹八幡宮【山形県山形市】
今回は山形県山形市に鎮座する【六椹八幡宮(むつくぬぎはちまんぐう)】を紹介します。お参り自体は去年になります。
こちらも例にもれず山形在住時は全く知りませんでした。自分のエリア外だとこれだけ意識しないものとあらためて思いましたね。
で、肝心の神社について
【御祭神】
品陀別命(ほんだわけのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
【境内社】
住吉神社 海上安全・禊祓の神
常盤稲荷神社 五穀豊穣・商売繁盛・産業繁栄の神
妙見神社 星祭・厄除けの神
金刀比羅神社 海上交通安全・福徳の神
【由来】
社伝によると、御冷泉天皇の後代、前九年の役に際し、源頼義・義家父子が当地にクヌギの大木が6本そびえるのを見て、「陸奥の苦を抜く」に通じるものとして戦勝を祈願したとされています。
最上家累代の祈願所、城下南部の総鎮護として厚く崇拝されてきました。
又、最上家改易後の歴代の山形城主からも崇拝を受け、現在の本殿は寛永7年、時の城主鳥居忠恒が造営されたものであります。
爾来、勝運(商運)の神、厄除け・安産・開運の神として広く崇敬を頂いております。
*Iタウンページ 六椹八幡宮 より、六椹八幡宮氏子青年会HPより 引用
天気の良い時に伺いましたが、新緑と、それによる影と日差しがなんとも言えない味を出していました。
手水舎です。
狛犬がいます。
この突き上げたお尻がなんとも言えないポーズですね。
拝殿です。
本殿をパチリ
常盤稲荷神社です。
ほか住吉神社、金刀比羅神社があったようですが確認できませんでした。お参りの時点では境内社をそれほど認識していなかったので単にスルーしてしまったのかもしれません。
頂いた御朱印です。
境内の授与所でいただきました。
なかなかかっこいいと思う御朱印でした
なまはげの里②_真山神社
こちらも5月6日になります。
赤神神社→男鹿水族館GAO → 真山神社 の流れで動きました。
まあ、変える事を考えたらギリギリよれるかなといったところです。
神社のそばになまはげ館もあるとのことで。
なまはげ館 HPより。
下にまたザクッとした地図を載せておきます。
地域でいろいろななまはげがいるようですね。レイアウト的には見応えはありました。
一体一体づつであればまだかわいいかもしれませんが、個々に並んでいる位の大群で来られたらびびってしまいますね。
なおここでなまはげの衣装装着の体験が出来るのですが、子供がなかなか恥ずかしがっていきません。このまま他の人のヤツを見てて良いかなと思いましたが、奥さんが行くぞ!と。二人で体験することとなりしたがそのときの写真です。ちなみに当然ですが包丁を持っているのが奥さんです。
そんなに期待していなかったのですが、伝承館ふくめなかなか楽しめました。
では肝心の真山神社のお参りです。
真山神社の縁起です。
由緒・縁起、沿革
真山神社社伝によりますと…。
古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。
<主祭神>
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
<合殿神>
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)
少彦名神(すくなひこなのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
大名持神(おおなもちのみこと)
塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)
※塞神三柱神とは…
衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)の3柱の総称
*真山 神社公式サイトより
先ほどの山門?の中の仁王様です。たぶん・・・
拝殿です。
左に見える石段をずっと上ったところが奥の院のようです。
ただ今回は帰りの時間(ここから約5時間)を考え、上るのはやめました。
すぐ脇の薬師堂までとしました。
御朱印をいただきに社務所へ。この神社向かって右側のほうに樹齢千年の榧の木があるとのこと、待ってる間見られてはと声かけられ、では見てきましょうと。
歩くこと2,3分ぐらいだったと思います大きな木が見えてきました。
榧の木とのこと。樹齢千年といわれ勝手に幹周がドドーンとの想像をしておりギャップを感じてしまいましたが、それはそれとして立派な木です。ちなみに「かやのき」だそうです。
説明の中で千数百年って百の位がアバウトのような気がします。
では戻りましょう。
途中の歓喜天堂です。天部ですがあまりこのようにお堂になっているところには巡り会いません。今回が初めてかな?
こちら側にも手水舎がありました。
弘法大師堂です。今回はこの位置でお参りさせてもらいました。
さて御朱印です。
社務所にていただきました。
なかなか力強い字です。
今回の秋田は、巡り・レジャーもここで終わりです。一路自宅へと向かいます。
二日間だけでしたが書いてない部分も含め、結構楽しめました。家族旅行としても合格点もらえたかなと思います。また余裕があれば来てみたいですね。ただ、男鹿までは遠いっす。